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【選手紹介Vol.21】新城幸也

最前線で戦い続ける日本のエース

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選手名:新城幸也(Yukiya Arashiro)

所属チーム:バーレーン・ヴィクトリアス

国籍:日本

生年月日:1984年9月22日

脚質:パンチャー

 

主な戦歴

ツール・ド・フランス

 出場・完走7回(2009、2010、2012~2014、2016,2017)、ステージ敢闘賞(2012,2016)、ステージ5位(2009)

 ・ジロ・デ・イタリア

 出場・完走5回(2010、2014、2020、2021、2023)、ステージ3位(2010)

ブエルタ・ア・エスパーニャ

 出場・完走4回(2015、2016、2019、2021)

・世界選手権

 出場15回(2007~2012、2014~2017、2019~2023)、9位(2010)

アジア選手権

 優勝(2011)、2位(2016)、3位(2023)

全日本選手権

 優勝(2007、2013、2022)

・ツール・ドゥ・リムザン

 総合優勝(2012)、総合2位(2013)、総合3位(2006,2008)、ステージ1勝(2008)

・ツール・ド・台湾

 総合優勝(2018)

・パリ~トゥール

 5位(2010)

・アムステル・ゴールドレース

 10位(2014)

 

どんな選手?

ロードレースの本場ヨーロッパで10年以上に渡って最前線で活躍を続け、グランツール(3大ステージレース)16回出場などの実績を誇る日本のエース。

その実力と残してきた実績は、別府史之と共に日本ロードレース界の二大巨頭と呼んでいいだろう。

 

沖縄県石垣島で生まれた新城は、高校時代はインターハイに出場するほどハンドボールに熱中。

大学に進学した後にハンドボールの実業団選手になる事が目標だったが、大学受験に失敗してしまう。

このタイミングで、ロードレース競技者だった父の紹介で当時の日本ロードレース競技の第一人者である福島晋一(2003年の全日本選手権優勝、現在は指導者)と出会い、福島にその才能を見込まれてロードレース選手としてのキャリアをスタートさせる。

高校卒業直後の2003年4月に福島の助力でフランスに渡り、ロードレースの本場で経験を重ね、2005年にはU23全日本選手権で優勝するほどの実力を身につける。

2006年、日本初の独立プロチームとして結成したチーム・バン・サイクリングに、恩師である福島と共に所属。

U23全日本選手権ではロードレースと個人タイムトライアルのダブル優勝を飾り、圧倒的な実力を披露。

本場フランスのレースでも、ツール・ドゥ・リムザンで総合3位に入りその実力をアピールする。

2007年、初めてエリートカテゴリーでの出場となった全日本選手権では、なんといきなりの優勝を飾る。

ヨーロッパでのレースを主戦場としつつ、ツアー・オブ・ジャパンツール・ド・北海道ではステージ勝利を挙げ、翌2008年もツール・ドゥ・リムザンでのステージ優勝や、ツール・ド・沖縄での完全優勝など、その実力は既に日本人としてトップクラスにある事を示し続ける。

 

2009年、これまでの活躍が認められ、遂に本場フランスのトップカテゴリー(当時)チームであるBbox・ブイグテレコム(現トタルエナジー)と契約。

そして、契約初年度ながらいきなりロードレース界の頂点であるツール・ド・フランスに出場。

別のチームで出場した別府史之と共に日本人初となるツール完走を果たすだけでなく、第5ステージでは並み居るトップスプリンターと競り合いステージ5位に入り、その実力は世界のトップでも十分に通用すると証明して見せた。

 

2010年は、新城の実力が更に知れ渡る1年に。

ツールに続いて2つ目のグランツール出場となったジロ・デ・イタリアでは、第5ステージで逃げに乗ってステージ3位に入り、2年連続出場となったツールでは第11ステージでまたもやスプリントに絡み6位でフィニッシュ。

更には世界選手権では日本人歴代最高位となる9位、その1週間後のパリ~トゥールではエースとして出場して5位と、大きなレースでの上位リザルトを連発する1年となり、別府に続いてヨーロッパでの地位を完全に確立した選手となった。

 

2012年、2年ぶりの出場となったツールの第4ステージでは、レーススタートと同時にアタックを仕掛けて逃げを形成。

残念ながら残り8km地点で捕まり逃げ切りとはならなかったが、その積極的な走りが評価されて敢闘賞を獲得。

2009年の別府に続くツールでの敢闘賞獲得だったが、別府は最終ステージだったために表彰台でのステージ敢闘賞の表彰が無く、新城は日本人として初めてツールの表彰台に上った選手となった。

 

2013年は自身2度目の全日本選手権優勝を果たし、ツールには日の丸をあしらったチャンピオンジャージを着用しての出場。

2014年は、アルデンヌクラシックの一つとして名高いアムステル・ゴールドレースで10位でフィニッシュ。

2015年には初めてブエルタ・ア・エスパーニャに出場して完走し、3つのグランツール(ツール、ジロ、ブエルタ)全てで完走した初めての日本人となった(翌2016年に別府も達成)。

 

ランプレ・メリダ(現所属バーレーン・ヴィクトリアスの前身チーム)に移籍して迎えた2016は、2月のツアー・オブ・カタールで落車してしまい、シーズン早々に左大腿骨を骨折する幸先の悪いスタートとなってしまった。

しかし、新城はここから驚異的な回復を見せ、復帰戦となった6月のツアー・オブ・ジャパンでステージ優勝という驚きのリザルトを残す。

勢いそのままにツールのメンバー入りを果たすと、第6ステージで積極的な逃げを見せて4年ぶりの敢闘賞を獲得する活躍を見せる。

心配されていたオリンピックにもしっかり出場(27位で完走)して、更にはブエルタと世界選手権にも出場して完走するなど、ケガをものともしない強靭さを発揮して見せた。

 

2018年にはツール・ド・台湾で総合優勝して、国外のレースで久々の勝利を挙げた新城。

2020年の東京オリンピックに向けて順調かと思われたが、2019年にトレーニング中に転倒し、左肘と骨盤の骨折という重傷を負ってしまう。

オリンピックのメンバーに選出されるためには、レースに出場して(そして上位に入って)ポイントを稼がなければならず、盤石と思われたオリンピック出場は一転して黄色信号が灯る事に。

しかし、新城は2016年同様にここから驚異的な回復を見せ、6月にレースに復帰。

復帰2戦目となった全日本選手権では2位に入ってその実力をしっかりとアピールし、8月にはブエルタに出場して3週間の長丁場をしっかりと乗り切る相変わらずのタフさを披露。

2020年開幕レースのツアー・ダウンアンダーでは総合29位に入ってUCIポイントを稼ぎ、その後のレースでもしっかりポイントを積み重ねて、気が付けばオリンピック選考ポイントでは大差の1位となり、自身3度目となるオリンピック出場を内定させた。

 

名実ともに日本のトップ選手として本場で戦い続け、別府と共に文字通り日本のロードレース界を牽引してきた新城。

ここまでのキャリアで勝利は少なくても、毎年のようにグランツールに出場するほど評価される理由は、出場したグランツール全てで完走する安定感とタフさが大きな要因だろう。

山岳でも平地でもエースを堅実にアシストし、そしてチャンスがあれば得意の逃げを披露する爆発力も持っていて、そして途中でリタイアしないので常に戦力として計算できるとくれば、これほど頼りになる選手はなかなかいない。

しかし、身勝手な希望かもしれないが、やはり日本のファンとしては一度大きな勝利が見てみたい。

そして新城自身も「トップ選手として活動している間に、自国でオリンピックが開催されるのはとても幸運な事」、「オリンピックの最初に開催される競技なので、メダルを取れば必ず注目され、日本のロードレース界が盛り上がるはず」と語り、東京オリンピックに向けて並々ならぬ熱意を持って挑もうとしている。

今までもその走りで日本のロードレース界を盛り上げ続けてくれた新城のキャリア終盤に現れた大きな目標、東京オリンピック

新型コロナウィルスの影響で開催されるかまだ不透明な部分もあるが、もし開催されたなら、もちろん全力で応援して、そしてその走りをしっかりと目に焼き付けたい。

チバリヨー!幸也!

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※2022年1月27日追記

2021年の新城は、春先からパリ~ニース、イツリア・バスクカントリー、ツアー・オブ・ジ・アルプスとステージレースを中心に出場し、まずはグランツールに向けて調整を行う。

そのまま予定通り5月のジロに出場する事になるが、ミケル・ランダでの総合優勝を狙うバーレーンはかなり本気度の高いメンバー選出をしており、そこに名前のある新城のチームからの評価の高さが伺えた。

バーレーンは好調だったランダが残念ながら落車で早々にリタイアしてしまったものの、代わりにエースを務める事になったダミアーノ・カルーゾが総合2位となる快走を披露。

ランダを含めて3人が途中リタイアするという苦しい台所事情の中、新城は多くの場面でアシストとして働きながらしっかり完走と、多大な貢献を見せてくれた。

 

7月、大きな目標と語っていた東京オリンピックに、増田成幸(宇都宮ブリッツェン)と共に出場。

厳しい山岳が設定されたコースという事もあり、残念ながら勝負に絡む事はできなかったものの35位で完走(増田も84位で完走)して、その雄姿を地元日本で見せてくれたのは本当に喜ばしい出来事だった。

 

8月、新城は当初出場予定ではなかったというブエルタのメンバーに選出される。

ジロで悔しい思いをしたランダがエースの予定だったが、ランダは残念ながらまたしても序盤でリタイアとなってしまう。

しかし、バーレーンは代役でエースとなったジャック・ヘイグ、更には進境著しいジーノ・メーダーが躍動。

ヘイグが総合3位でポディウムに登壇、メーダーが総合5位でヤングライダー賞獲得、更にはカルーゾもステージ勝利を挙げ、おまけにチーム総合成績で優勝と、バーレーンにとっては大成功のブエルタとなった。

その中で、平地を中心にもの凄い量の仕事をこなしていた新城の貢献度はかなり高く、チーム総合成績の表彰でポディウムに登る際に見せた笑顔は、本当に素晴らしいものだった。

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ブエルタの3週間後、新城は日本人選手として唯一世界選手権に出場。

序盤からレースが活発に動いた事で僅か68人しか完走できなかった厳しい展開の中、新城は最終選別の直前まで生き残り、49位で完走。

勝負に絡めなかったのは残念ではあるが、あの厳しいレース展開の中、アシストもいない状況でこの結果は、かなり立派なものだと評価していいだろう。

 

2021年もジロとブエルタを完走した事で、新城のグランツール連続完走記録は15にまで伸びた。

その安定感と、与えられた仕事をしっかりとこなす高い実力は、現役でも屈指の存在だ。

グランツールで総合成績を狙うチームのアシストという事で、自由に走る機会、自らの勝利を狙う機会が殆ど無くなってしまっている事は、ファンとしては多少寂しい気持ちも勿論ある。

それでも、最高峰の舞台で重要な任務を与えられ、最前線で戦い続けるその姿は、まさに日本の誇りだ。

38歳となる2022年シーズンも、きっとまたチームの為に戦う姿を見せてくれる。

そんな新城の勇姿を、しっかりと応援していきたい。

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※2022年12月17日追記

2022年、2月にシーズンインした新城だったが、ここからステージレースを中心に調整を進めた前年とは違う流れのレーススケジュールをこなす事になる。

3月、バーレーンは新型コロナウィルスの影響などで離脱者が多発したために、春のクラシック戦線のメンバーが足りなくなり、新城に声が掛かる。

意外だったのは、3/25のE3・サクソバンク・クラシック以降、いわゆるフランドル・クラシック、小柄な新城にとっては苦手とされる石畳系のレースに召集され続けた事。

ヘント~ウェヴェルヘム、ドワーズ・ドール・フラーンデレン、スペインでのレースを2つ挟んでからブラバンツ・ペイル、そして極めつけは「北の地獄」ことパリ~ルーベにまで呼ばれたのだ。

そして新城は、E3、ヘント~ウェヴェルヘム、ドワーズ・ドール・フラーンデレンはしっかり前線で仕事をこなしつつ完走、そしてパリ~ルーベは落車によりリタイアになってしまったものの途中まではメイン集団で奮闘と、意外な好走を披露。

これまでフランドル・クラシックは出場自体が殆どなかったはずだが、改めてその適応力の高さが証明されるいい意味でのサプライズだった。

 

6/26、新城は3年ぶりに全日本選手権個人に出場。

アシストがいない、そしてその上で徹底マークを受ける厳しい状況ながら、最終盤にアタックを繰り出すとメイン集団の絞り込みに成功。

最後はマッチスプリントをしっかりと制し、7年振り3度目の全日本王者に輝いた。

 

その後、ブエルタ・ア・ブルゴスでの素晴らしいアシストもあり確実視されていたブエルタ・ア・エスパーニャへの出場は、何故か直前でメンバー外になる憂き目に遭うが、9月には単身で世界選手権に出場。

最後の勾配でメイン集団からは零れ落ちてしまったものの、前年より順位を上げて39位での完走となった。

また、10月のジャパンカップでは、事前に「勾配が厳しすぎて自分向きでは無い」と語りながら、アジア人最高順位となる11位でフィニッシュ。

改めて、その実力は未だにアジアでは抜きん出ていることを証明してくれた。

 

グランツールへの出場が無かったのは多少不可解で残念ではあったが、新城は2022年もヨーロッパの最前線を走り抜き、チームへの貢献を見せてくれた。

2023年には39歳になるが、その走りはチームからしっかりと評価されていたようで、バーレーンとの契約を1年延長する事が出来たのはとても喜ばしい。

日の丸をあしらった日本チャンピオンジャージを身に纏い、チームのために奮闘する新城の姿をしっかりと堪能したいところだ。

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※2023年12月11日追記

直近2年と同様、少し遅めのシーズンインとなった新城は、ボルタ・シクリスタ・ア・カタルーニャにイツリア・バスクカントリーと、1週間規模のステージレースでの調整を経て、2年ぶりにジロに出場する事に。

チームは総合エースにベテランのカルーゾ、エーススプリンターとして若手のジョナサン・ミランを据える「両狙い」体制を敷き、アシストに求められる仕事量が多い状況。

そんな中で新城は、集団を先頭で牽引する場面も多く見受けられるなど、平坦を中心として着実に仕事をこなしながら、しっかりと完走。

特筆すべきは、経験の少ないミランに「グルペット(山岳ステージでタイムアウトを免れるために走るスプリンターなどの集団)でのペース配分」を教えるなど、「指導係」としても大きな役割を担った点だろう。

結果、グランツール初挑戦だったミランはステージ1勝を挙げるだけでなく、ポイント賞も獲得と大躍進。

また、カルーゾも総合4位に入り、更にはチーム総合賞も獲得と、バーレーンとしては大成功と言えるジロになった。

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最終日、チーム総合賞の表彰でポディウムに登る新城、その姿は日本人として本当に誇らしいものだった。

 

6月、新城は5年振りにアジア選手権に出場。

目的は、上位2か国に与えられるパリオリンピックの出場枠。

最終局面、アスタナ・カザクスタン・チームに所属するカザフスタンの選手2人との勝負になってしまい、数的不利を覆せずに3位でのフィニッシュに。

ただ、1位と2位がカザフスタンの選手になった事により、銅メダル獲得と同時に、日本としては無事にパリオリンピック出場枠の確保に成功した

 

その後、新城は全日本選手権に参戦。

まずは個人タイムトライアルで3位に入り、そしてその2日後にはロードレースに出場するも、日本人唯一のワールドチーム所属選手として、そして前年覇者として、徹底マークを受ける事に。

アシストがいない中、この包囲網と言えるほどのマークを覆すことは難しく、8位でのフィニッシュになった。

 

8月、新城は世界選手権に出場。

5年連続での出場となったが、またしても単独での出場、グラスゴー市街地に設定された類を見ないほどテクニカルな周回コース、そしてトラブルでの一時レース中断も重なり、残念ながら3年ぶりの途中リタイアとなってしまう。

やはり、世界選手権を単独で走るのは、完走に持っていくことすら相当に難しいのだろう。

 

2024年シーズンには40歳と、もはや大ベテランと呼ばれる年齢になった新城だが、シーズン終了後にバーレーンとの1年契約延長が発表された。

ジロ終了直後と言うかなり早い時期にオファーが出ていたようで、やはりあのジロでの働き…、リザルトに直接現れない部分も含めた貢献が、相当高い評価と信頼を得ているのは想像に難くない。

2024年も最前線で走り続けるその姿が、本当に楽しみだ。

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