ログリッチと言う男
ユンボ・ヴィスマに所属するスロベニア人、プリモシュ・ログリッチは現役屈指の総合系選手である。
元スキージャンプ選手と言う異色の経歴ながら、抜群のタイムトライアル能力、そしてプロ契約後に鍛え上げた登坂力と、素晴らしい才能をロードレースの神から授かった。
更には特筆すべき不屈の闘志をもって、ブエルタ・ア・エスパーニャ3連覇など、グランツールの総合表彰台に登る事、実に5回。
今までの実績を鑑みれば、この認識に異を唱える人はいないだろう。
それでも付きまとう、「勝てない選手」と言う評価。
そんな評価の発端は、序盤に首位を快走しながらも、終盤に失速した2019年のジロ・デ・イタリアだったろうか。
そして何より、2020年のツール・ド・フランス第20ステージで、同郷の若手タデイ・ポガチャル(UAEチームエミレーツ)相手に喫した、歴史に残る大逆転劇。
www.kiwaroadrace.com更に、2021年・2022年は2年連続で落車によりツールを途中リタイアと、負の連鎖は止まらない。
間違いなく強い、それなのに何故か大事なところで勝利を逃してしまう。
多くのファンが、もどかしさを抱えながらログリッチを応援していただろう。
そして迎えたこの日、ジロ・デ・イタリア2023の第20ステージ。
総合争いの最終決戦の場として用意されたのは、登坂距離7.3km・平均12.1%の1級山岳モンテ・ルッサーリを駆け上がる、山岳個人タイムトライアル。
奇しくも、「あの大逆転」の舞台となった2020年のツール第20ステージに酷似した…いや、それをさらに厳しくしたような、超高難度のコースプロフィール。
57秒のリードを有してスタートを切ったあの時と違い、今回は26秒のビハインドを抱えた総合2位と言う立ち位置。
総合首位に立つ、2018年ツール覇者であるゲラント・トーマス(イネオス・グレナディアーズ)と、お互いの健闘を祈る握手を交わしてから、ログリッチはスタートを切る。
スロベニア国境に近い地域という事で、かなりの数のスロベニアのファンが沿道に駆け付けて声援を送る中、平坦区間を順調に、そして登坂区間に向けてのバイク交換を驚くほどスムーズにこなしたログリッチ。
登坂に入る直前に設定された第1中間計測でのタイムは、暫定1位。
3分後に出走したトーマスもログリッチから2秒遅れと言う素晴らしいタイムで平坦区間を走り抜け、勝負は1級山岳モンテ・ルッサーリの登坂に委ねられる。
平均勾配12.1%、そして序盤と最終盤に最大勾配22%が登場する、タイムトライアルが行われるのが信じられないような険しすぎる坂を、ログリッチは軽いギヤを高回転させて進んでいく。
鬱蒼とした森の中に設けられた第2中間計測で、2人の間にタイム差が生じていることが明らかになる。
ログリッチ、16秒のリード。
トーマスも全体2位となる好タイムをマークしている中、ログリッチの走りが飛び抜けて素晴らしい。
登坂区間は、まだ半分以上残っている。
このままのペースだと、僅差でログリッチが逆転し得る。
最終決戦に相応しい、極めてハイレベルな争いが繰り広げらる中、突如画面に映し出されたのは、信じられない映像だった。
なんと、ログリッチがメカトラブル…チェーンが落ちてしまい、止まっている。
「この素晴らしい勝負に、こんな形で水を差さないでくれ」と思わずにいられないまさかの事態だったが、ログリッチは落ち着いて対処して、速やかに再スタートを切る。
失ったタイムは…少なく見積もっても10秒以上。
悪魔のいたずらか、それともロードレースの神が与える試練なのか。
ただ、ログリッチの眼差しから、そして軽快かつ力強いペダリングから、力は失われていない。
まだ終わった訳では無い。
逆転に向けて、ログリッチは全力を尽くし続ける。
フィニッシュの800m手前に設定された第3中間計測。
ログリッチは、暫定首位だった総合3位のジョアン・アルメイダ(UAE)のタイムを40秒も上回っている。
トラブルでタイムを失いながらこのタイム差とは…、その走りはあまりにも驚異的だ。
フィニッシュライン手前では夥しい数のスロベニア国旗が揺れる中、最終的にはアルメイダより42秒早いタイムをマーク。
あとは…、トーマスとのタイム差だ。
登坂の終盤に若干勢いを失ったようにも見えるトーマスが、第3中間計測を通過。
ログリッチとのタイム差は、29秒に拡大…!!
このまま行けば、ログリッチの逆転…!!
そしてトーマスはやはり限界を迎えていたのか、フィニッシュでのタイム差は…40秒!!
ログリッチが、26秒差を逆転して総合首位に…!!
筆舌に尽くしがたい、あまりにも劇的な展開!!
ログリッチがバッドラックをその力で乗り越え、歓喜の総合首位奪取!!
ロードレースの神は、なんという展開を用意したのだろうか…!!
トラブルに見舞われながら、それでも逆転するに余りあるタイムを稼ぎ出したログリッチの不屈の走りよ…!!
そしてこれは、決して奇跡でも偶然でもない。
なにせ、逆転されたトーマスだって、ステージ2位の好走だったのだから。
ただただ、ログリッチの走りが素晴らしかったのだ。
ログリッチが総合優勝に価する、本当に素晴らしい走りを見せたのだ。
そこにあったのは、「強い選手が勝つ」という、単純で明快な要素だったのだ。
残すは最終第21ステージ、ローマへの凱旋のみ。
波乱続きだった2023年のジロも、ようやく幕を閉じる。
本当に色々あったけれども、結局は「勝つべく選手が勝った」のだと思う。
ログリッチ、素晴らしい走りをありがとう!!
そして、おめでとう!!