勝ち星に恵まれなくとも存在感を示し続けた石畳職人
選手名:セップ・ファンマルク(Sep Vanmarcke)
最終所属チーム:イスラエル・プレミアテック
国籍:ベルギー
生年月日:1988年7月28日
脚質:ルーラー
主な戦歴
・オムループ・ヘット・ニウスブラッド
優勝(2012)、3位(2017、2018、2021)
・ブルターニュ・クラシック・ウェスト=フランス
優勝(2019)
・パリ~ルーベ
2位(2013)、4位(2014、2016、2019)、6位(2018)
3位(2014、2016)、5位(2021)
・ヘント・ウェベルヘム
2位(2010、2016)、3位(2023)、6位(2015)
・ドワーズ・ドール・フラーンデレン
3位(2018)
・E3・ハレルベーク
5位(2012、2014、2015)
どんな選手?
勝ち星には恵まれないながらも、大柄な体格を活かして石畳系のクラシックレース(フランドル・クラシック)で安定した活躍を見せる、実力派ワンデーレーサー。
プロデビュー直後の2010年、フランドル・クラシック(北のクラシック)4連戦の1つであるヘント・ウェベルヘムで2位という驚きの結果を残し、21歳の若さで頭角を現す。
2012年にはオムループ・ヘット・ニウスブラッドで優勝し、石畳系のレースでの強さを改めて示し、次世代のベルギー人ワンデーレーサーとして期待される存在となる。
そんな期待の若手であったファンマルクの評価を決定づけたのが、ブランコ・プロサイクリング・チーム(現チーム・ユンボ・ヴィスマ)に移籍して迎えた2013年、石畳系レースの最高峰の1つであるパリ~ルーベでの走り。
優勝候補の大本命であるファビアン・カンチェラーラ(レディオシャック・レオパード)に最後まで食らいつき、フィニッシュ地点の競技場までもつれる大激戦を繰り広げたのだ。
最後は経験の差もあり僅差で敗れてしまったが、24歳の若さでパリ~ルーベ2位という順位は、それまでの実績と併せてファンマルクの実力の高さを証明する結果となった。
その安定した石畳での走りに、多くの人が「ファンマルクは近いうちにビッグタイトルを獲得する」と想像したと思われるが、意外にもここから苦難の歳月が待ち受けていた。
カテゴリーの下がるレースではちらほら勝利するのだが、何故かワールドツアーでは勝ち星から遠ざかってしまうのだ。
特に、フランドル・クラシックでは常に優勝候補に挙げられ、期待通り安定して上位入賞や表彰台に登るのだが、あと一歩のところで勝ちきれず、悔しい思いをする日々が続いてしまった。
2012年のオムループ・ヘット・ニウスブラッドでの勝利以降、ワールドツアーでの勝利は7年間もの間手にすることが出来ず、2019年のブルターニュ・クラシック・ウェスト=フランスが久々のワールドツアー勝利となった。
ワールドツアー通算2勝と勝利に恵まれないファンマルクだが、とても印象的だったレースが2019年のロンド・ファン・フラーンデレンである。
パリ~ルーベと並んでフランドル・クラシックの頂点であるこのレース、過去に2度の3位入賞を果たしているファンマルクは、当然エースとして出場の予定であった。
しかし、1週間前のレースで落車によって膝を負傷してしまい、コンディションにかなり不安を抱える中での強行出場となってしまった。
そして迎えたロンド・ファン・フラーンデレンで、なんと彼はエースとして自身の勝利を狙うのではなく、チームメートの為に全力を尽くしたのだ。
まずは残り60km地点でのステイン・ファンデンベルフ(AG2R・ラモンディアル)のアタックに反応し先頭集団を形成すると、メイン集団との差を30秒ほどにまで広げる力走を見せる。
これによりメイン集団のライバルチームの選手の体力を消耗させ、逆にチームメイトはそのライバルチームの動きに付いていくだけなので体力を温存する事ができた。
そして残り27km地点でファンマルクは先頭集団から脱落するが、メイン集団から先頭を目指して抜け出してきたチームメイトのアルベルト・ベッティオールを含む追走集団3人と合流すると、残された力を振り絞ってこの集団を牽引し始める。
鬼気迫る表情で先頭集団とのタイム差を縮めたファンマルクは、残り17km地点の最後の勝負所である「オウデクワレモント」で脱落するも、彼の全力アシストを受け取ったベッティオールは強烈なアタックで一気に先頭に躍り出て、そのまま見事に優勝を飾る事ができた。
本来はエースであったファンマルクは、思い入れの強いロンド・ファン・フラーンデレンに対するこだわりは当然ながらあった筈だ。
それでも自分のコンディションが万全ではない事とベッティオールの状態が良い事を冷静に判断し、チームの勝利の為に全力を尽くしたのは称賛に値するもので、内容的にもファンマルクが手繰り寄せた勝利と言って差し支えない走りを見せてくれた。
勝利したベッティオールも
「彼のようなチャンピオンが自分の為に1日中仕事をしてくれたなんて信じられない」
と、称賛と最大限のリスペクトの言葉を発していたのがとても印象的だった。
2020年のパリ~ニースでも、小柄なエースのセルヒオ・イギータを強烈な横風からしっかりと守り抜き、見事に表彰台に送り込んだ走りが光ったファンマルク。
レース後、チームウェアを提供するラファのインタビューでは
「セルジオが10歳も年下だと知って、自分も歳を取ったものだと思ったよ。でもそんなことは関係ない。セルジオのように才能の塊のような選手がリーダーになると、レースを通して彼のために働きたいと思うものなんだ」
と語り、その素晴らしい人間性を垣間見せてくれた。
インタビューの終盤ではやはりパリ~ルーベとロンド・ファン・フラーンデレンという2つの石畳系レースへの愛着を述べたファンマルク。
その石畳への適正と、長年にわたって上位に位置付ける安定感は、誰しもが認めるところであるし、その走りにまだ衰えは見えていない。
EFプロサイクリングのチーム力が高まっている今こそ、まさに勝利を手にする絶好のチャンスの筈だ。
そろそろ「無冠の帝王」の名を返上して、美しき勝者になってもいい頃合いだろう。
仲間の為に、チームの為に走った姿も美しかったが、彼が長年の思いを乗せて栄光を掴む瞬間を想像してみると、それは格別に美しい瞬間になる予感がしてくるのだ。
※2021年1月31日追記
新型コロナウィルスの影響でパリ~ルーベが中止となった2020年シーズン、ファンマルクの最大の目標はもう一つの石畳系モニュメントのロンド・ファン・フラーンデレンだったであろう。
そのロンドの前哨戦と言えるヘント~ウェヴェルヘムでは、チームメイトで昨年ロンド覇者のベッティオールと共に終盤までメイン集団で生き残る事に成功。
ファンマルクは17位だったが、勝負権を託されたベッティオールは小集団スプリントの末に4位と、表彰台は逃したもののチームとしては翌週のロンドに期待を抱かせる内容だった。
そしてシーズン最後のモニュメントとして迎えたロンドでも、ファンマルクとベッティオールの2人は勝負権を保ったポジションをキープしてレース終盤に突入。
しかし、勝負所で抜け出したジュリアン・アラフィリップ、マチュー・ファンデルプール、ワウト・ファンアールトには残念ながら付いていけず、ファンマルクもベッティオールも追走集団で順位を伺う事に。
先頭集団はアラフィリップが落車でリタイアするアクシデントがあったものの、ファンデルプールとファンアールトが持ち前の独走力を発揮し、また追走集団は上手く協調体制がとれなかったためにペースが上がらず、優勝は先頭の2人で争われる形になってしまった。
優勝争いは先頭の2人に絞られたが、追走集団も表彰台の残り1枠をかけて駆け引きや削り合いが勃発し、最後はもちろん全力でのスプリント勝負に。
ファンマルクとベッティオールというエース級の2人を残していたEFは有利なようにも見えたが、ベッティオールは追走集団最後尾の16位、そしてファンマルクはその16秒後の17位と、意外なリザルトに終わってしまった。
2020年シーズンのファンマルクは、最大の目標としていたクラシックに於いて、個人としてだけでなく、チームとしても結果を残せなかった。
ただ、前年に続き内容自体は悪くなく、EFにはファンマルクの他にもベッティオール、セバスティアン・ランゲフェルト、イェンス・クークレールといったいいメンバーが揃っていて、また勝負するチャンスは十分にあるように見えた。
それだけに、ファンマルクがイスラエル・スタートアップネーションに移籍するのは、個人的にはかなり意外だった。
完全に推測ではあるが、ベッティオールという新しいエースが育ってきた中で、やはり自身がエースとして走りたいという気持ちもあるのだろう。
チーム創設から6年、ワールドツアー登録2年目と歴史が浅いながら積極的に戦力補強をしたイスラエルというチームで、ファンマルクがどんな走りを見せてくれるか楽しみにしたい。
※2022年1月10日追記
イスラエルという戦力が潤沢ではないチームに移籍したファンマルクは、大方の予想通り孤軍奮闘を強いられる。
そんな中で、オムループ・ヘット・ニウスブラッド3位、そしてロンド・ファン・フラーンデレン5位と、安定して上位に入った辺りはある程度は評価しても良いのだろう。
もちろん、厳しく見れば相変わらず「決め手に欠けていた」のも事実であり、なかなか勝利する姿がイメージできなかったというのが正直なところではある。
2022年シーズンも、チーム力はそこまで変化していないため、恐らく似たような状況が続く可能性は高い。
それでも、ファンマルクはそのタフさでレース最終盤の勝負所まで生き残り、虎視眈々と機会を窺うのだろう。
そうすれば、どこかでチャンスも転がってくる。
転がってきたチャンスを掴み取る権利を有するのは、厳しい選別を生き残った者だけなのだから、きっとファンマルクにもどこかでそれが巡ってくると信じたい。
※2022年12月15日追記
フランドル・クラシックで安定して上位に食い込む事に定評があったファンマルクだが、2022年は大苦戦を強いられる。
E3を途中リタイア、ヘント~ウェヴェルヘム77位、ドワーズ・ドール・フラーンデレン101位と結果を残せない状態が続いただけでなく、なんとロンド・ファン・フラーンデレンとパリ~ルーベは不出場となってしまう。
フランドル・クラシックで1桁リザルトが無いのは、コロナ禍でスケジュールが狂った2020年を除けば、プロ入り直後の2009年以来、実に13年振りの出来事だった。
一応、シーズン終盤にはプロシリーズのメリーランド・サイクリング・クラシックで勝利を挙げて、その力自体はまだ勝利を狙えるレベルにあると示すことは出来た。
ただ、所属するイスラエルはプロチームに降格と、2023年シーズンはまた違う意味での苦戦を強いられる状況になっている。
チームのクラシック班エースとして、下位カテゴリーのレースで活躍するのは必須として、招待されたワールドツアーでどれだけの結果を残せるのか。
長年活躍を続けてきた実力者として、改めて奮起を期待したい。
※2023年12月8日追記
2023年のファンマルクは、春のクラシックで全く勝負に絡めなかった前年と違い、ヘント~ウェヴェルヘムで3位に入るなど、若干の復調を見せていた。
しかし、まさかの事態がファンマルクを襲う。
6月のベルギー国内選手権、ファンマルクの心拍数データが異常な数値を指した。
その後の検査の結果、レースを続ける事が出来ないレベルの問題が心臓に発見される。
そして7月7日、ファンマルクはSNSで即時引退を発表。
あまりにも突然ではあったが、2022年にはレース中に心臓発作によって一時心肺停止となり引退を余儀なくされたソンニ・コルブレッリ(元バーレーン・ヴィクトリアス)の例もあり、こればかりは仕方がないだろう。
ファンマルクは、プロ通算9勝、モニュメントなどビッグタイトルは獲得無しと、華々しい活躍をした超一流選手ではなかったかもしれない。
それでも、ロンド・ファン・フラーンデレンとパリ~ルーベでトップ10フィニッシュ計8回、表彰台2回と、2010年代の石畳系モニュメント2つには、その姿が常に最前線にあった。
その大柄な体格、ベルギー人らしい巧みな石畳走破、そしてしぶとく最終局面まで生き残るタフさ。
2013年パリ~ルーベでのカンチェラーラとの激闘を筆頭に、その走りはきっと多くのファンの記憶に刻まれているだろう。
病気による早期引退は本当に残念で仕方がないが、これまでの活躍に大きな賛辞を贈りたい。