こんなニュースは聞きたくなかった
あってはならないことが起こってしまった。
6月15日に行われていたツール・ド・スイス第5ステージ、バーレーン・ヴィクトリアスのジーノ・メーダーが、山岳ステージのダウンヒルで落車したという情報が飛び込んでくる。
100km/hを超えるような高速ダウンヒルで落車したメーダーは、崖下に転落してしまい、蘇生措置が施された後にヘリで病院へ緊急搬送された…というのが6月15日深夜時点での情報だった。
そして、翌6月16日。
新たなチーム公式報が…、望んでいなかった公式報が入ってくる。
🙏🏻 Gino, thank you for the light, the joy, and the laughs you brought us all, we will miss you as a rider and as a person.
— Team Bahrain Victorious (@BHRVictorious) June 16, 2023
❤️ Today and every day, we ride for you, Gino.
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スイス出身のロードレース選手ジーノ・メーダーは、26歳という若さでその生涯を終えることになってしまった。
こんなことは、あってはならない。
それなのに、「また」起こってしまった。
思い出されるのは、2019年のツール・ド・ポローニュで同じように命を落としたビヨルグ・ランブレヒトのことだ。
あの事件から、まだ4年しか経っていない。
自分の僅か4年という観戦歴の中で、2度目のレース中の死亡事故。
更に言えば、「運よく一命を取り留めた」だけの、最悪の事態と紙一重だった事例もかなりの数が思い浮かぶ。
果たして、こんな状況は正常なのだろうか。
数年に一度という頻度で死亡事故が起こる、選手がまさに「死と隣り合わせ」な状況は、スポーツとして正常なのだろうか。
その答えは、間違いなく「否」だろう。
この異常な状況は、早々に解決されなければいけない。
一体何が問題なのか
公道で自転車のレースを行うというロードレースの特性上、落車を完全に防ぐのが不可能なのは間違いない。
問題なのは、落車が起こるという前提の上で選手をどう守っていくのか、その議論が進んでいないことだ。
最も迅速に導入可能かつ効果的なのは、プロテクターの導入だろう。
平坦区間の巡航速度が約40km/h、フィニッシュスプリントの最高速は約70km/h、そしてダウンヒルでは100km/hを超えるロードレースという競技において、選手を保護するものがヘルメットしかないのは、はっきり言って異常でしかない。
最低でも脊椎と胸部を守るようなプロテクターを、一刻でも早く義務化するべきだ。
ただ、導入するとなったら、恐らく一部の(多くの?)人間から反対の声が挙がるだろう。
「走りにくくなってスピードが出ない」、「この重量は山岳を登るのにかなり負担になる」、「昔ながらの伝統あるロードレースの形が変わってしまう」など、こんな声が一部から出るのは目に見えている。
だが、この際はっきり言いたい。
優先すべきはそれらの下らない意見ではなく、選手の命と安全だ。
人命と安全、それに勝るものなどなにもないのだ。
これ以上「犠牲者」が出る前に、可能な限り速やかにプロテクターを導入するべきだ。
プロテクター以外の対応も、もっと議論が進まなければいけない。
まずは、コース設定。
今回の事故もスピードが出るダウンヒルで起きたように、もっとダウンヒル区間は危険だという認識を持ってコース設定を考えるべきだろう。
もちろん、ダウンヒルを完全に無くすことは不可能だ。
それでも、より安全なルートを探るなり、やりようはいくらでもある。
例えば、2020年にレムコ・エヴェネプールが崖から転落したイル・ロンバルディアでは、翌年以降は同じルートを使っていない。
多少迂回するようなことになっても、もしくは登りのレイアウトが緩くなって山岳ステージとしての魅力が多少減ってでも、そうするべきなのだ。
次に考えられるのは、ルール設定。
特に、集団スプリントフィニッシュとなる際の救済措置「3km・3秒」ルールは、適用範囲を拡大して例えば「5km・5秒」としてもいいはずだ。
そうすれば、高速域での激しい位置取りはある程度緩和されて、危険な落車が減る可能性が高いだろう。
更に言えば、集団スプリントの際はタイム差計測を残り5kmで行って、ラスト5kmはスプリントでステージ勝利を争う選手だけが行うようにすれば、もっとリスクが減るはずだ。
プロテクター同様に機材面で考えるなら、究極の話としてはバイクの性能を「落として」、危険すぎるスピードが出ないようにすることも可能なはずだ。
まあこの方策は、間違いなく各バイクメーカーが猛反発をすると思う。
それでも、モータースポーツではマシンの開発にレギュレーションを設けて安全性とレース性を担保することは、普通に行われている。
「ロードレースではありえない、出来ない」というのは、厳しく言えば「甘え」でしかないだろう。
スポーツという文化
安全が担保された状態だからこそ、人は正常な日常を営める。
スリルやリスクを楽しむ行為もあるが、それらだって安全が担保されているから誰でも楽しめる。
例えば、いつ故障して事故を起こすか分からない車には誰も乗りたくないだろうし、ひもが切れるかもしれないバンジージャンプなんかは絶対にしたくないだろう
スポーツだって例外ではない。
ほぼ全てのスポーツにおいて、安全のためのルールや用具が存在する。
サッカーなら、フィジカルコンタクトの仕方に制限があり、負傷の可能性が高い脚には脛当てを着用する。
野球なら、打者は頭部を守るためにヘルメットを被り、捕手は全身にプロテクターを着用する。
ボクシングなら、素手で殴り合うのは危険すぎるのでグローブを着用し、また選手に戦う意思があっても審判が危険だと判断したらそこで試合は終了する。
それぞれのスポーツに合った安全策が講じられる中、ロードレースはどうだろうか?
はっきり言って、明らかに足りていない。
現状が足りていないだけでなく、適正なものに変えていこうという意思が足りていない。
例に挙げたサッカー、野球、ボクシングだけでなく、他の多くのスポーツは、より安全なものに…より良いものするために、様々なルール改正や保護具の改良が行われている。
ロードレース界に足りていないのは、そういった「より良いものにしていくための意思」だと思う。
一昔前までは「それでよかった」のかもしれないが、状況は常に変化していく。
社会全体の認識がより安全を重視する向きに変化していることもそうだし、機材やトレーニング方法の発達によりレーススピードも大きく変化している。
その変化に、対応しなければいけないのだ。
「古き良き」や「伝統」に価値が無いとは言わないが、それに固執した結果、最も重要なものを見失ってはいけない。
選手の命が適切に守られていない競技に、それこそ価値など何も無い。
自分も含めて、今回の事故で大きなショックを受けている人はたくさんいる。
その中には、ロードレースから距離を置く人だっているだろう。
こんな状況が放置され続け、そしてまた同じような事故が起こったら、ロードレースは「危険極まりない時代遅れな競技」と認識され、愛想を尽かされてしまうだろう。
そうなる前に、ロードレース界は変わらなければいけない。
この魅力あるスポーツは、より愛されるべき姿に変わらなければいけない。
自分のような発信力のない人間がこんな記事を書いたところで、その影響は微々たるものどころか、ほぼ無いのは分かっている。
それでも、自分なりのメーダーへの弔いとして、書かない訳にはいかなかった。
今は、ただひたすらに悲しい。
それでも、彼の走りと笑顔を胸に刻んで、これからもロードレースを応援し続けたい。
R.I.P Gino.
We will never forget you.