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【選手紹介Vol.25】クリス・フルーム

奇跡の復活を目指す生ける伝説

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選手名:クリス・フルーム(Chris Froome)

所属チーム:イスラエル・スタートアップネーション

国籍:イギリス

生年月日:1985年5月20日

脚質:オールラウンダー

 

主な戦歴

ツール・ド・フランス

 総合優勝(2013、2015~2017)、総合2位(2012)、ステージ通算7勝

ジロ・デ・イタリア

 総合優勝(2018)、ステージ通算2勝

ブエルタ・ア・エスパーニャ

 総合優勝(2011、2017)、総合2位(2014、2016)、ステージ通算5勝

クリテリウム・ドゥ・ドーフィネ

 総合優勝(2013、2015、2016)、ステージ通算6勝

ツール・ド・ロマンディ

 総合優勝(2013、2014)、ステージ1勝

世界選手権個人タイムトライアル

 3位(2017)

 

どんな選手?

最高クラスの登坂力とタイムトライアル能力を武器に、グランツール(3大ステージレース)総合優勝7回という圧倒的な実績を誇る2010年代最強のオールラウンダー。

 

イギリスにルーツを持ち(祖父母がイギリス人)ながらケニアで生まれ育ったフルームは、ケニア在住時から自転車に乗り始め、そこから南アフリカへ移住してハイスクールのクラブチームに加入、そしてヨハネスブルグのアマチュアチームに加入した事で本格的なトレーニングをスタートさせる。

2006年には白人のケニア代表選手として、コモンウェルズ・ゲーム(イギリス連邦に属する国による競技会)やU23世界選手権に出場し、コモンウェルズ・ゲーム個人タイムトライアルでは長時間暫定首位、U23世界選手権個人タイムトライアルでは係員と激突して落車と、良くも悪くも目立つ事に。

こういった国際大会に出場した事で、ロードレースの本場であるヨーロッパへの憧れを強くしただけではなく、南アフリカ代表チームと面識を得たり、後に長く強固な関係を結ぶ事になるデイヴ・ブレイルスフォードからその存在を認識されたりと、この2006年はフルームにとって大きなターニングポイントだったと言えるだろう。

 

2007年、フルームは前年に得たコネクションも活かし、南アフリカ籍のコンチネンタルチームであるコニカミノルタと契約。

ジロ・デレ・レジオーニやツアー・オブ・ジャパンでステージ勝利を挙げるなど、本格的な選手活動の初年度ながら、ある程度の結果を残す事に成功する。

 

そして2008年、フルームはついに念願のヨーロッパ籍のプロコンチネンタルチーム(現行制度で言えばプロチーム)であるバロルワールドに加入。

また、このイギリスのチームに所属するのと前後して、選手登録をケニアからイギリスの自転車競技連盟に移している。

フルームはヨーロッパに活動の拠点を移した直後ながら、いきなりツール・ド・フランスにも出場して総合82位で完走。

翌2009年はジロ・デ・イタリアに出場して総合36位で完走と、この2年間でヨーロッパでも十分に戦っていけると証明する事が出来た。

 

2010年、ここで運命の歯車が大きく動き出す。

バロルワールドが前年限りで解散したため移籍する事となったフルームの新たな所属チームは、イギリスの新設チーム「スカイ・プロサイクリング(現イネオス・グレナディアーズ)」。

「5年以内にイギリス人初となるツール総合優勝者を輩出する事」を目標と掲げるこのチームのゼネラルマネージャーは、2006年からフルームに目を付けていたブレイルスフォード。

スポンサーの強力なバックアップによる潤沢な資金力を有するこのチームは、ブレイルスフォードの唱える「マージナル・ゲイン」という理念、「小さな積み重ねが大きな結果に繋がる」という考え方の元に、2011年から頭角を現していく事になる。

2010年の活躍はチームもフルームもまだ静かなもので、フルームとしてはイギリス国内選手権個人タイムトライアルでの2位が目立ったリザルトと言えるかもしれないが、トップスリーをブラッドリ・ウィギンス、フルーム、ゲラント・トーマスとスカイの選手が独占しているのは、スカイの強さを示すと同時に、このトップスリーに入った全員が後にツールを制する事になる辺りが、とても示唆的で興味深いところではある。

 

2011年、フルームはウィギンスと共に出場したブエルタ・ア・エスパーニャで、突如その才能を開花させる。

個人タイムトライアルステージでウィギンスより良いタイムを出してステージ2位、第17ステージの山頂フィニッシュでは総合首位のファン・ホセ・コーボを最後に差してステージ勝利し、そして総合成績もコーボから13秒遅れの総合2位でのフィニッシュと、いきなり表彰台に登るという大きな結果を残したのだ。

エースのウィギンス(総合3位)以上の成績を残した事で、グランツールで総合争いができる能力があると、一気に注目を集める事になる。

チームとしてもこの結果を受けて、翌年はエース待遇にする事をフルームと約束するが、これが後にいざこざの原因となってしまう。

ちなみに、2019年にコーボのドーピング違反が発覚してブエルタ総合優勝の結果が剥奪され、総合2位だったフルームが繰り上げで総合優勝となり、結果的にこのブエルタがフルームのグランツール初制覇となった。

 

2012年、スカイはツールのエースとして前年のブエルタで結果を残したフルームではなく、ウィギンスを任命。

そのウィギンスは春先から絶好調で、パリ~ニース、ツール・ド・ロマンディクリテリウム・ドゥ・ドーフィネを総合優勝と圧倒的な成績を残し、満を持して悲願のツール制覇を狙いに行く。

一方のフルームは、目立つリザルトはクリテリウム・ドゥ・ドーフィネで総合4位に入った程度で、「エース待遇」の約束をされながらもアシストに回るのは、ある意味仕方がない面もあった。

そんな複雑な状況を抱えたまま、スカイは…フルームとウィギンスは、ツールに臨む事になる。

蓋を開けてみると、ウィギンスはやはり開幕から絶好調で、初日のプロローグで2位になると、第7ステージでは早くも総合首位に立つ。

更には第9ステージの個人タイムトライアルでステージ優勝を飾り、ライバルを更に突き放す事に成功と、早くも盤石の様子を見せる。

一方のフルームも、第7ステージの山頂フィニッシュでステージ勝利、第9ステージの個人タイムトライアルでステージ2位、更には第11ステージでステージ3位に入った事で総合成績もウィギンスに次ぐ2位に浮上と、かなりの強さを、特に山岳では明らかにウィギンス以上の強さを見せつけていた。

そして迎えた第17ステージ、厳しい山岳ステージで事件が起こる。

ウィギンスが疲労のせいか精彩を欠く一方、フルームは対照的に軽いペダリングを見せ、アシストとして先導するフルームは度々ウィギンスを引き離してしまいそうになる。

もちろん、チームからウィギンスをアシストするように指示が出ているフルームは、ウィギンスを置いていく訳にはいかない。

明らかに山岳で強いのは自分なのに自由に走れない事にフラストレーションを抱え込んだフルームは、付いて来るのに苦しむウィギンスに対して「おい、エースなんだろ?しっかり付いて来いよ?」と言うような、煽るようなジェスチャーを見せてしまう。

それでもしっかり最後までウィギンスをアシストしたフルームは、レース後には「自分の役割はアシストだ」とコメントをするものの、エースとして自由に走る欲求を強く抱いている事は明らかだった。

結局、ツールの結果自体はウィギンスが総合優勝、そしてフルームが総合2位のまま幕を閉じる事になったが、その内容からチームの不和などが垣間見え、少し物議を醸すものとなってしまった。

 

2013年、ウィギンスはジロを目標として、遂にフルームがツールのエースとして出場する事が決定。

フルームはまるで前年のウィギンスをトレースするかのように、ロマンディとドーフィネで総合優勝を飾るなど、万全の調整を経てツールに臨んだ。

そして、肝心のツールでもフルームは序盤から順調な走りを見せ、第8ステージでステージ勝利を挙げて、早くも総合首位に。

その後も、第15ステージと第17ステージで勝利するなど強さを見せ、第17ステージ終了時点で総合2位のアルベルト・コンタドール(チーム・サクソ・ティンコフ)との差は4分34秒。

もはやフルームの総合優勝は間違いないような状況だったが、第18ステージで大きなピンチを迎える。

名峰ラルプ・デュエズへのフィニッシュとなるこの日、フィニッシュまで残り5km辺りでなんとフルームが失速。

フルームはこのとき栄養補給の不足によるハンガーノックに陥っていて、その失速具合次第では総合首位の座も危うくなるような、まさに最大の危機だった。

こんな苦境を救ったのは、アシストとしてフルームに付き従っていたリッチー・ポート。

ポートはフルームの異変にいち早く気が付くと、わざわざチームカーにまで下がって補給を受け取りに行くという大胆な機転を見せ、そして補給をフルームに渡した後も最後までフルームを牽引すると言う、最高のアシストを見せる。

この年のパリ~ニース総合優勝、そしてツール前哨戦のドーフィネではフルームに続いての総合2位と言う実力者であるポートが見せた、この最大限の献身に文字通り助けられ、フルームは何とか傷口を最小限に抑える事に成功。

そしてその後のステージは危なげなく走り切り、遂にフルームはツールの総合優勝を成し遂げる。

チームとしても前年のウィギンスに続くツール連覇とその力を証明し、そして「新エース」のフルームはこの時点で28歳と、最も脂の乗ってくる年齢に差し掛かる頃。

スカイの時代、そしてフルームの時代が到来した事を告げるには、十分すぎる結果と内容だった。

 

2014年、フルームはもちろん連覇を狙ってツールに出場したが、なんと第5ステージの石畳区間で落車してしまいそのままリタイア。

気を取り直して出場したブエルタでも、コンタドールの後塵を拝しての総合2位に終わってしまう。

もちろんブエルタ総合2位は素晴らしい成績ではあるが、前年に見せた圧倒的な姿を考えると、期待値程の活躍ではなかったというのが大方の見方であろう。

 

2015年、不完全燃焼だった前年の雪辱を晴らすべく、前哨戦のドーフィネを制してツールに乗り込んだフルーム。

勢いそのままに第7ステージで早くも総合首位に躍り出ると、第10ステージの山頂フィニッシュを制して大きなリードを稼ぐことに成功。

最終盤にナイロ・キンタナ(当時モビスター・チーム)の猛追を受けるも、しっかりとタイム差を守り抜いて2度目のツール総合優勝を成し遂げた。

 

2016年、前年同様にドーフィネで総合優勝をしてからツールに臨んだフルームは、意外な場面でタイム差を稼ぎに来る。

まずは長いダウンヒルを経てからのフィニッシュとなる第8ステージ、フルームはそのダウンヒルでまさかの単独抜け出しという奇襲を仕掛け、タイムを稼ぎ出す事に成功して総合首位に。

更に、平坦カテゴリーの第11ステージでは、ステージ勝利を狙いたいペーター・サガン(ティンコフ)とまさかの協調を見せて、横風区間を利用しての抜け出しに成功。

サガン、マチェイ・ボドナール(ティンコフ)、そしてアシストのトーマスも加えた4人で後続を突き放し、サガンにステージ勝利は譲りながら自身もステージ2位となり、平坦ステージでライバルからタイムを奪って見せた。

続く第12ステージでは、急停止したカメラバイクと接触して自転車が破損するというトラブルに巻き込まれるも、観客起因のトラブルという事でタイム差は無しという救済措置が下されて事なきを得る。

そして第18ステージの個人タイムトライアルではしっかりとステージ勝利を飾りリードを更に拡大して、そのまま最後まで総合首位の座を守り抜く事に成功。

驚くほどの積極的な姿勢を見せつつ、盤石のレース運びで連覇でのツール総合3勝目を飾った。

 

ツール後は、オリンピックに出場して個人タイムトライアルで3位に入り、そして前年は途中リタイアしたブエルタにも出場。

ステージ2勝を挙げたものの、キンタナの前に屈して総合2位となった。

 

2017年は、過去にツールを勝った年には必ず優勝していた前哨戦のドーフィネを総合4位で終えるという、少し不安も覗かせる状態でツールに臨む事に。

それでも、初日の個人タイムトライアルを総合勢トップのステージ6位で走り抜け、山頂フィニッシュの第5ステージでもステージ3位に入り、早くも定位置の総合首位の座へ。

ただ、例年と違ってここからなかなかリードを広げられず、第12ステージではファビオ・アル(アスタナ・プロチーム)に総合首位を一旦明け渡す事に。

すぐさま第14ステージで総合首位に返り咲くも、まだ総合1分差以内にライバルが3人も残っているという、予断を許さない状況が続く。

第17・第18ステージの山岳決戦を経ても、まだ総合30秒差以内にロマン・バルデ(当時AG2Rラ・モンディアル)とリゴベルト・ウラン(当時キャノンデール・ドラパック)が残っていたが、残す総合争いの舞台は第20ステージの個人タイムトライアルのみ。

個人タイムトライアルが得意のフルームはここでしっかりとステージ3位に入る好走を見せ、総合首位の座をガッチリとキープ。

ステージ勝利は無く、そしてタイム差も例年よりも少ないと、苦しむ姿を見せながらもフルームは見事ツール3連覇、そして「5勝クラブ入り」に王手を掛ける4度目の総合優勝をその手に収めて見せた。

 

また、前年に続いて出場したブエルタでは、前年同様にステージ2勝を挙げつつ、今度はしっかりと総合優勝を果たす。

これにより、自身初となる同一年の複数グランツール制覇も達成。

個人タイムトライアルと山岳ステージでしっかりと勝利を挙げるそのオールラウンダーとしての完成度は、改めて別格の存在である事を証明した。

 

2017年12月、現役最強の総合系選手として全盛期を謳歌するフルームに、想定外の事態が発生する。

なんと、ブエルタ第18ステージのドーピング検査サンプルから、基準値を上回る「サルブタモール」が検出されたのだ。

フルームは以前から喘息の治療の為にサルブタモールの吸引を行っていたので、治療の一環としての使用であり、基準値を超えた吸入はしていないと、チームと共に主張。

「絶対的王者のドーピング疑惑」というセンセーショナルな話題だったため、かなりの注目を集め、そして解決までかなりの時間が掛かったが、2018年の7月2日、フルーム側の主張が完全に認められ、「パフォーマンス向上目的のドーピングではない」と結論付けられた。

 

2018年は、唯一総合優勝していないグランツールであるジロに、実に8年ぶりとなる出場。

しかし、ジロ出場と言う例年と違うレーススケジュールの影響か、それとも前述の「サルブタモール問題」の影響か(この時点ではまだ審議中)、序盤のフルームは走りに精彩を欠いてしまう。

第13ステージ終了時点で、総合首位のサイモン・イェーツ(当時ミッチェルトン・スコット)から3分20秒遅れの総合12位と、総合優勝は絶望的とも言える状況になっていた。

しかし、フルームの逆襲がここから始まる。

まずは第14ステージ、ゾンコランへとフィニッシュする難関山岳ステージでステージ勝利を挙げ、一気に総合5位まで浮上。

そして3分22秒遅れの総合4位でスタートした第19ステージで、フルームは伝説となる走りを見せる。

この日は、未舗装路区間を含む超級山岳フィネストレ峠を越え、最後は1級山岳バルドネッキアにフィニッシュする、難関山岳ステージ。

フルーム、そしてスカイは序盤からアシストを惜しげもなく投入して高速ペースで集団を牽引、まずはライバルに負荷をかける。

フィネストレ峠に入ると、前日から調子の悪い様子を見せていた総合首位のサイモン・イェーツが集団から遅れていく。

ただ、総合2位のトム・デュムラン(チームDSM)と総合3位のドメニコ・ポッツォヴィーヴォ(バーレーンメリダ)が生き残っているので、スカイは牽引のペースを緩めない。

フィネストレ峠の頂上まで残り7.8km、いよいよ未舗装路区間に突入すると、スカイの最後の1人のアシストであるケニー・エリッソンドが更にペースを上げ、ポッツォヴィーヴォも脱落。

そして、なんとその直後に、フルームがまさかのアタック。

ツールの絶対王者のフルームが、山頂まで残り5km、フィニッシュ地点まで残り80kmを残した位置から、大逆転を目指して独走を試みたのだ。

フルームは以前ツールでも披露したダウンヒルテクニック、そして持ち前の独走力と登坂力を全てつぎ込んで、ひたすら逃げる。

一方のデュムランを中心とした追走グループは上手く協調できず、ペースが上がらない。

じわじわとそのタイム差は広がっていき、そして遂にはフルームが理論上の総合首位となる2分52秒以上にまで拡大する。

フルームはリスクを冒した勝負を無事に成功させ、後続に3分以上の差を付けてフィニッシュ地点にやってきた。

王者がその王者たる所以を見事に表現した、まさに伝説となる走りで「指定席」の総合首位の座へ就いたのだ。

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もちろんフルームはそのまま自身初となるジロ総合優勝を飾り、これで全てのグランツールを制した7人目の選手となっただけでなく、前年のツール、ブエルタに続いてこれで連続したグランツール3連覇という、史上3人目の偉業を達成

後世まで語り継がれるような衝撃的な走り、そして偉業の達成。

フルームがまさに伝説になった瞬間だった。

 

ジロを制したフルームは、もう一つの大記録であるツール総合5勝に向けて、もちろんツールにも出場。

ただし、この2018年は例年と違い、盟友トーマスとの「ダブルエース」体制で臨む事になった。

前述の通り「サルブタモール問題」が解決されたフルームだったが、第1ステージで落車してしまい、いきなり1分タイムを失うという苦しい立ち上がりに。

しかし徐々に調子を上げ、第11ステージではトーマスとの見事な連携も冴えわたり、トーマスが総合首位、そしてフルームは総合2位へと順位を上げる事に成功。

スカイが総合ワンツーを独占、そしてフルームが総合2位という状況は、まるで2012年の再現のようにも思え、果たしてエース問題はどうなるのか、2012年には自分がエースでない事に不満を露わにしたフルームが今回は一体どうするのか注目が集まる中、動きが起こったのは奇しくも2012年と同じく第17ステージ。

山頂フィニッシュのこの日、あの「2012年の第17ステージ」とは違い、調子が悪かったのはフルーム。

そしてフルームは自身の調子が悪い事を素直にトーマスに伝え、トーマスを先に行かせた。

自身の勝利ではなく、チームスポーツとしてチームの勝利を優先させるその姿。

そこにいるのはあの頃の血気盛んな若者ではなく、強すぎるが故の批判や勝者としての重圧、更にはドーピング疑惑と、様々な苦難を乗り越えて成熟した、「王者」のクリス・フルームだった。

ここで順位を総合3位に落としたフルームは、レース後に改めて「トーマスのアシストとして動く」事を明言。

そして第19ステージではその言葉通り、自分のタイムと順位を失う事を厭わずにトーマスをアシストして、総合4位に後退。

しかしこの王者は、ここからが本当に凄かった。

続く第20ステージ、個人タイムトライアルでステージ2位に入る好タイムを叩き出し、総合3位へ返り咲きに成功。

自らの力で表彰台の座をしっかりと手繰り寄せるその姿勢と強さは、まさしく王者のそれだった。

 

「5勝クラブ」入りは先送りになってしまったが、王者の矜持をしっかりと見せつけたフルームは、チーム名がスポンサーの交代でチーム・スカイからチーム・イネオスへ変更となるも、もちろん2019年にツールに再挑戦する予定だった。

そんなフルームを、悲劇が襲う。

ツール前哨戦のドーフィネの第4ステージ、個人タイムトライアルコースの試走中にダウンヒルで強風に煽られ、なんとそのまま高速で壁に激突してしまったのだ。

フルームの容体は、頚椎・大腿骨・肋骨・肘などの骨折、そして大量の出血とかなりの重傷で、6時間にも及ぶ緊急手術が行われる事になった。

もちろん2019年のツール出場は不可能で、そして復帰までかなり時間を要する事は確実であった。

 

2020年、フルームは意外にも2月のUAEツアーという早い時期にレースに復帰。

ただ、もちろんベストコンディションではなく、その後もレースで実戦調整をしながらツール出場を目指す予定だったが、新型コロナウィルスの影響で3月以降のレースは一旦中止となってしまう。

そんな状況下で、「フルームがツール出場の為にシーズン途中での移籍を目指している」という驚きの報道があったりもしたが、この報道は正確ではなく、「2020年シーズンはこのまま現チームでツールを目指す」とチームから発表された。

しかし、その上で「2021年シーズンからはイスラエル・スタートアップネーションに移籍する事」も明らかとなり、スカイ時代の2010年から続いたフルームとチームの関係が遂に幕を閉じるという、一つの時代が終了した事を感じさせる出来事となった。

 

結果的に、新型コロナウィルスの影響でツールも約2か月延期となった事は、ケガからの回復を目指すフルームにとって追い風にも思えたが、中断期間明けのレースでもフルームは本来の姿を取り戻せないでいた。

そしてイネオスは、遂に「フルームをツール出場メンバーから外す」という決断を下す。

また、こちらもコンディションが上がっていなかった2018年ツール覇者であるトーマスも、同様にツールメンバーから外れ、ツールは2019年覇者エガン・ベルナルがエースを担い、フルームはブエルタ、トーマスはジロへと出場する事になった。

3年振りのブエルタ出場となったフルームだったが、総合98位で完走はするもののやはりコンディションは低調なままで、総合2位に入ったリチャル・カラパスのアシストとしてもあまり働くことはできず、ベストな状態とは程遠い事が改めて明らかとなってしまった。

 

2021年、イスラエルへと移籍したフルームは、UAEツアー、ヴォルタ・ア・カタルーニャツール・ド・ロマンディクリテリウム・ドゥ・ドーフィネと、ワールドツアーのステージレースに積極的に出場するも、やはりコンディションは回復せず、総合争いには全く絡めずにただ完走するだけという状態が続いていた。

それでもツール出場メンバーには選ばれるが(恐らく「ツール出場」が契約に盛り込まれている)、やはり状態は上がっておらず、完走はするものの総合133位でのフィニッシュとなった。

 

正直なところ、フルームのコンディションが全盛期と同様の状態に戻る事は、来シーズンで37歳になる年齢も含めて考えると、相当厳しいのかもしれない。

そもそもの話として、2019年のあの大クラッシュからグランツールを完走するレベルまで戻ってきた事だけでも、もしかしたら奇跡的なのかもしれない。

恐らく、それはフルームも理解している。

それでも、フルームは現役にしがみつき、トレーニングを積み、そしてレースに出場してもがいている。

その姿は全盛期とは程遠いが、あのフルームがそこまでしてレースに情熱を燃やす姿は、また何か今までとは違うものをこちらに訴えかけてくる。

 

もちろん、フルームが山岳で集団から遅れていく姿を見るのは、もの凄く悲しい出来事ではある。

それでも、2010年代には間違いなく最強だったあのフルームが、過去の栄光など関係なく全力でもがくその姿は、きっと応援するだけの価値がある。

本人が「やりきった」「燃え尽きた」と思えるその日まで。

フルームがもう一度大きな結果を手に入れられる奇跡が起こる事を願いながら、伝説の選手の戦いを見届けていきたい。

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