圧倒的な出力で全てを捻じ伏せる規格外の怪物
選手名:マチュー・ファンデルプール(Mathieu van der Poel)
所属チーム:アルペシン・ドゥクーニンク
国籍:オランダ
生年月日:1995年1月19日
脚質:パンチャー
主な戦歴
・世界選手権
優勝(2023)
優勝(2020、2022)、2位(2021、2023)、4位(2019)
・パリ~ルーベ
優勝(2023)、3位(2021)
・ミラノ~サンレモ
優勝(2023)、3位(2022)
・ドワーズ・ドール・フラーンデレン
優勝(2019、2022)
優勝(2019)、4位(2022)
・ストラーデ・ビアンケ
優勝(2021)
ステージ1勝(2021)
ステージ1勝(2022)、総合敢闘賞(2022)
・オランダ国内選手権
優勝(2018、2020)
・シクロクロス世界選手権
優勝(2015、2019~2021、2023)
どんな選手?
常識を超えた圧倒的な出力を武器に、シクロクロス、マウンテンバイク、ロードレースという3つの種目で結果を残し続ける自転車の天才。
祖父がツール・ド・フランス総合表彰台に8度登壇したレイモン・プリドール、父もシクロクロス世界選手権優勝にロードレース世界選手権2位という実績を誇るアドリと、まさに自転車界のサラブレッド的なルーツを持つファンデルプールは、幼少期はシクロクロスを中心としてその才能を存分に発揮。
2011-2012シーズンのジュニアカテゴリー世界選手権優勝を皮切りに、常勝街道を走り続ける。
また、現在に至るまでライバル関係を保つ事になるワウト・ファンアールト(ユンボ・ヴィスマ)とは、この頃からしのぎを削り合っていた。
2015年には20歳でシクロクロス世界王者に輝き、2023年時点で世界選手権を通算で5度制覇と、間違いなく現役最強のシクロクロッサーの1人である。
また、マウンテンバイクでも結果を残し、2018年にはオランダ国内選手権のクロスカントリー部門優勝、2019年にはヨーロッパ選手権でもクロスカントリー部門優勝と、トップ選手としての地位を築いている。
既に他競技で結果を残していたファンデルプールが、ロードレースで注目され始めたのは2018年。
オランダ国内選手権優勝、ヨーロッパ選手権2位、そしてアークティック・レース・オブ・ノルウェーでステージ2勝と、ロードレースでも明確な結果を残し始めたのだ。
そして2019年、所属するコレンドン・サーカス(現アルペシン・ドゥクーニンク)がプロコンチネンタルチーム(現行制度におけるプロチーム、2部相当)に昇格し、トップカテゴリーのレースへの出場が増えると、その規格外の才能が一気にヴェールを脱ぐ事に。
ジュリアン・アラフィリップやボブ・ユンゲルスといった一流選手を相手にしながら、ドワーズ・ドール・フラーンデレンとブラバンツ・ペイルを優勝した時点でその衝撃度は相当なものだったが、これはまだ序章に過ぎなかった。
全世界に特大の衝撃を与えたのは、アルデンヌクラシックの一角であるアムステルゴールドレースでの走り。
レース終盤、先頭から1分後方に位置する第4集団に取り残されたファンデルプールは、残り8km辺りから追走集団の先頭をローテーションせずに単独での牽引を開始。
前方からの風を受け続けて体力が削られることを厭わず、そしてライバルがその背後で楽をしながら付いてくることを気にせずに全開で踏み続けたファンデルプールは、追走集団を次々と吸収し、そしてフィニッシュの直前、遂に先頭を走る3人を眼前に捉えた。
ロードレースの常識で考えれば、直近の約8kmでその力を使いすぎたために最後のスプリントで勝負に絡むのは厳しいという状況で、怪物はその真価を見せつける。
残り300m、追走集団の先頭を牽きながらロングスプリントを仕掛けるファンデルプール。
ありえないタイミングでの、ありえない出力での猛スプリント。
そして、ありえない事が起こった。
ファンデルプールの背後で力を温存していたはずの選手は突き放され、そして先頭で牽制して力を貯めていたはずの選手も追い抜かれる。
あまりの出来事に、ファンデルプール自身も頭を抱えるような仕草でのフィニッシュ。
ロードレースの常識を破壊する、規格外の怪物による進撃が始まった瞬間だった。
その後も、ツアー・オブ・ブリテンでステージ3勝を挙げて総合優勝を飾るなどの活躍を見せ、9月の世界選手権では優勝候補の一角と目される程の注目を集めていた。
ヨークシャーで開催された世界選手権は、冷たい雨が激しく降る中、周回ごとに集団の人数が減っていくサバイバルレースの展開に。
レース終盤、メイン集団にいたファンデルプールは先頭集団目がけて飛び出しを敢行。
追走集団を次々と追い抜き、あっと言う間に先頭集団に追いついたその走りは、「アムステルゴールドレースの再現」を思わせるものだった。
しかし、冷たい雨、そして積極的過ぎるレース運びはファンデルプールの体力を想像以上に削っていたようで、残り13km辺りで突如失速して集団から脱落。
その積極的な走りが魅力的であると同時に、ロードレース経験の浅さが露呈したレースとなってしまった。
2020年、冬のシクロクロスシーズンを終えて春先からロードレースに出場する予定だったファンデルプールだが、新型コロナウィルスの影響で3月からシーズンが中断してしまったために、8月から本格的なシーズンインを迎える事に。
2度目のオランダ国内選手権制覇、ティレーノ~アドレアティコやビンクバンク・ツアーでのステージ勝利などを経て、10月18日にはモニュメント(5大ワンデーレース)の一つであるロンド・ファン・フラーンデレンに出場。
レース終盤、メイン集団からの抜け出しに成功して先頭を走るのは、10年来のライバル関係であるファンデルプールとファンアールト。
これまでシクロクロスでは幾度となくマッチアップを重ねてきた2人が、初めてロードレースで直接対決する、なんとも胸が熱くなるような展開に。
息を呑むほどの緊張感を孕みながらフィニッシュ地点へと近づいていき、最後はスプリント勝負。
永遠のライバル同士が死力を尽くしたスプリント、僅差で制したのはファンデルプール。
ロードレース本格参戦から、わずか3年足らずでのモニュメント制覇となった。
2021年も、ファンデルプールはシーズン序盤から好調をキープして勝利を積み重ねる。
3月のストラーデ・ビアンケでは、先頭集団でフィニッシュ手前の激坂「サンタカテリーナ通り」へ突入すると、真っ先にアタック。
現役屈指の激坂強者であるアラフィリップと2019年のツール覇者であるエガン・ベルナルを一気に突き放すという、またしても規格外な走りでの衝撃的な勝利となった。
そして6月、満を持してツール・ド・フランスでグランツール(3大ステージレース)に初めて出場。
その第2ステージ、ファンデルプールは改めてその凄まじさを全世界に発信する。
第1ステージを終えて総合18秒遅れだったファンデルプールは、第2ステージの終盤、小高い丘「ミュール・ド・ブルターニュ」の頂上に設定されたボーナスタイムポイントの先頭通過に成功して、8秒のボーナスタイムを獲得。
そして周回してきてもう一度「ミュール・ド・ブルターニュ」を登るフィニッシュで、ファンデルプールが加速すると、またしても誰も付いてこれない。
後続に6秒のタイム差を付け、そしてフィニッシュでの10秒のボーナスタイムを獲得したファンデルプールは総合首位に立ち、総合リーダーの証であるマイヨジョーヌを着用する事に。
2019年に亡くなった祖父、総合表彰台に8度も登りながらマイヨジョーヌは一度も着用する事が出来ずに「永遠の2番手」と呼ばれたプリドールへ捧げる、熱く、そして美しい勝利の瞬間だった。
その後のステージでも積極的に逃げたりして観客を沸かせたファンデルプールだったが、山岳ステージで総合順位を落とした後、マウンテンバイクで出場する東京オリンピックへの調整のためにツールを途中リタイア。
ただ、肝心の東京オリンピックでは派手な転倒をしてしまい残念ながら結果を残せず、そしてこの転倒で背中を痛めてしまい、しばらくの間休養を余儀なくされてしまった。
それでも、調整不足の中でモニュメントの一つであるパリ~ルーベに強行出場して3位に入る辺りは、改めてその突出した能力が証明されるものではあった。
2022年、ファンデルプールはロードレースシーズンのスタートをなんとモニュメントの一つであるミラノ~サンレモに設定し、しかも3位入賞という結果を残してしまう。
そして2度目のドワーズ・ドール・フラーンデレン優勝を経て、ロンド・ファン・フラーンデレンに出場。
ライバルのファンアールトが新型コロナウィルス感染で不在の中、最終盤でのマッチアップ相手はツール2連覇中のタデイ・ポガチャル。
終始動いてレースの流れを作り続けていたポガチャルに対して、ワンデーレースでの経験値で勝るファンデルプールはフィニッシュスプリントで極めて冷静な対応を披露。
本能で動き続けて衝撃的な勝ち方を見せてきたこれまでと違い、成熟した落ち着きでポガチャルを難なく下し、2年振り2度目のモニュメント制覇を達成した。
5月に入ると、ファンデルプールはジロ・デ・イタリアに初出場。
第1ステージでその圧倒的な出力を遺憾なく発揮してステージ優勝を飾ると、第4ステージで総合リーダージャージを失って以降は終始積極的な走りを披露。
果敢にアタックを繰り返し、逃げにも頻繁に乗り、レースを盛り上げ続けた事が評価されて総合敢闘賞を受賞する。
ただ、春のクラシックシーズンとジロで全力投球を続けた影響か、7月のツールではコンディションを上げられず、残念ながら見せ場を作れずに途中リタイアとなってしまった。
9月のオーストラリアで開催された世界選手権は、直前のレースで3連勝を飾り、万全の態勢で臨んだはずだった。
しかし、ファンデルプールは予想外のアクシデントに巻き込まれてしまう。
レース前日の夜、ホテルの廊下で数人の少女が騒ぎながらファンデルプールの宿泊している部屋のドアをノックし続け、ファンデルプールはそれに激高。
ファンデルプール曰く「かなり強めの『やめろ』という声かけ」をしてしまい、暴行の疑いがあるという事で警察に連行される羽目になってしまったのだ。
ファンデルプールが解放されてホテルに戻って来られたのは、レース当日の朝4時。
もちろんそんな状況では心身ともにベストコンディションとは程遠く、30kmほど走った辺りでリタイアを選択する事に。
ファンデルプールにとっては被害者的側面も大きく、その後の捜査や判決で実質の無罪を勝ち取ったとは言え、非常に残念な一件となってしまった。
シクロクロス仕込みの圧倒的な出力で全てを捻じ伏せ続け、様々な衝撃的な勝利を重ねてきたファンデルプール。
好調時はどうやっても止められないその勢いは、まさに怪物と称するに相応しいものだ。
その一方でレース運びの拙さを指摘される事も多かったが、2022年のロンド・ファン・フラーンデレンなどで見せたように、状況に即した冷静で適切な走りが増えてきたのも間違いない。
ただ、ロードレースの常識に慣れる事は、もしかしたらファンデルプールの魅力を削ぐ事に繋がる可能性もあるのではないだろうか。
積極的で、圧倒的で、衝撃的な走りこそ、ファンデルプールの根源的な魅力だろう。
フィニッシュ後に倒れ込むほど全力を出し尽くすその姿にこそ、我々ファンの心は動かされるのだ。
もちろん、「勝つための動き」は存分にしてもらいたい。
その上で、ファンとしてはこの怪物の「消極的な走り」は見たくない。
ただひたすら己の力を信じて、全力で暴れ回って欲しい。
規格外の怪物が生み出す現象は、きっとこれから先も我々に特別な衝撃を与えてくれるはずだから。
※2023年12月21日追記
2023年、シクロクロスシーズンを終えたファンデルプールは、3月からロードレースに参戦。
その3戦目、モニュメントの一角ミラノ~サンレモで、ファンデルプールは早くもエンジン全開の走りを見せる事に。
最終盤の勝負所であるポッジオの登りで、ポガチャルがアタックを繰り出すと、ファンデルプールはしっかり反応。
そしてその直後、怪物による強力すぎるカウンターアタックが炸裂。
ポガチャル、ファンアールト、フィリッポ・ガンナ(イネオス・グレナディアーズ)の3人を一瞬で突き放したファンデルプールは、そのままフィニッシュまで独走。
相変わらず「分かっていても止められない」、らしさ爆発でのミラノ~サンレモ初優勝となった。
E3・サクソ・クラシックでの2位を挟んで、ディフェンディングチャンピオンとして参戦したロンド・ファン・フラーンデレンでは、前年同様ポガチャルとのマッチアップという展開に。
ここでは、ポガチャルの連続攻撃に屈する格好になってしまい、残念ながら連覇とはならなかった。
しかし、2020年以降4年連続での表彰台登壇は、明らかに群を抜いたリザルトと言っていいだろう。
4月、フランドル・クラシックの最終戦パリ~ルーベに出場したファンデルプールは、ファンアールトが早い段階で仕掛けてきた奇襲にも動じず、ヤスペル・フィリプセンという心強いチームメイトと共に最終盤を迎える事に。
最後の5つ星石畳区間「カルフール・ド・ラルブル」で、ファンアールトの加速にファンデルプールはしっかり反応し、優勝争いはこの2人に絞られたかと思われた。
しかしここで、なんとファンアールトがパンクによってストップし、ファンデルプールは残り15kmを独走でフィニッシュに向かう事に。
ファンアールトを含む追走集団は、上手く協調体制を敷けないだけでなく、フィリプセンがローテーションを阻害する重石となった事で、ペースが上がらない。
フィニッシュ地点のヴェロドロームを、勝利を確信してガッツポーズを見せながら周回するファンデルプール。
最後はまだ1周を残すフィリプセンの祝福を受けながら、喜びをかみしめるような仕草でのフィニッシュ。
自身3つ目のモニュメント制覇は、フィリプセンとのワンツーフィニッシュという特大の「おまけ」付き。
これまでも十分に示されてはいたが、アルペシンというチームがファンデルプールのワンマンチームではない事が、改めて明示されたシーンだった。
7月、ファンデルプールはツールに出場。
感染症に苦しんだ事もあり、自身の勝利を目指して積極的な走りを見せる事は無かった代わりに、ポイント賞獲得を目指すフィリプセンのアシストとして、その爆発的な力を惜しみなく投入。
スプリントの最終局面、フィリプセンを引き連れて猛加速を見せるファンデルプールに抗える選手など存在し得ず、フィリプセンは多くの場面において理想的な格好でスプリントを開始することが出来た。
その結果、フィリプセンはステージ4勝を挙げて、見事にポイント賞獲得に成功。
フィリプセンのスプリンターとしての完成度を示すと同時に、アシストに回ったファンデルプールの恐ろしさを知らしめるツールになった。
8月、ファンデルプールは実質の「不戦敗」となった前年の雪辱を果たすべく、世界選手権に出場。
グラスゴーの市街地に用意された周回コースは、無数のコーナーと細かい起伏が散りばめられた、ファンデルプールには打ってつけのレイアウト。
大方の予想通り、テクニカルな周回コースの影響でかなり厳しいサバイバルレースの展開になり、最終盤まで生き残れたのは、ファンデルプール、ファンアールト、ポガチャル、ピーダスンという、精鋭中の精鋭4人のみ。
ヒリヒリするような緊張感が張り詰める中、残り22kmでアタックを仕掛けたのはファンデルプール。
最大勾配14%を誇るモンテローズの登坂で加速するファンデルプールの勢いは凄まじく、その背中を捉えられる選手はいない。
後方の3人が牽制状態に陥り、ファンデルプールの勝利が確定的…と思われた頃、なんとファンデルプールが雨で濡れたコーナーで落車。
幸い、ファンデルプールに大きなダメージは無く、そしてそこまでに稼いでいたタイム差が大きかった事もあり、そのまま独走態勢は変わらない。
最終的には1分以上のタイム差を有して、悠々とフィニッシュ地点へとやってくるファンデルプール。
怪物が「やっと」掴んだ、世界王者のタイトル。
全力で、がむしゃらで、相変わらず規格外で、そして傷だらけながらも美しい、まさにファンデルプールらしさが凝縮されたレースだった。
ロンド・ファン・フラーンデレンの連覇こそ逃したものの、ミラノ~サンレモにパリ~ルーベとモニュメント2勝、そして世界選手権優勝と、2023年のファンデルプールのリザルトは最高に充実したものだったと言っていいだろう。
また、その圧倒的な個の力だけでなく、フィリプセンを筆頭としたチームメイトとの連携、そしてチーム全体の力が高まっているのが明確に結果に繋がった事も、改めて注目したい部分である。
その個の力の高さゆえに厳しいマークを受けながらも、ある時はチームメイトの力を借りて、またある時はアシストに回り、チームとして勝利を、そしてより高みを目指す。
そんな好循環がファンデルプールを中心に生まれているのは、想像に難くない。
2024年シーズン、アルカンシェルを身に纏う世界王者として、一体どんな走りを見せてくれるのか。
虹色に彩られる怪物の進撃、改めて楽しみにしていたい。